鳥辺野・阿弥陀ヶ峰 (京都市東山区)  
Toribeno
鳥辺野 鳥辺野
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清水寺より見た阿弥陀ヶ峰


【参照】近世以降の鳥辺野、西大谷

【参照】鳥辺野、西大谷 


「源氏物語ゆかりの地」の京都市の説明板


方形区画墓、五条坂、「源氏物語ゆかりの地」の京都市の説明板より


石製笠塔婆、五条坂、「源氏物語ゆかりの地」の京都市の説明板より
 阿弥陀峰の西麓一帯の鳥辺野(とりべ-の)は、平安時代初期より京都近郊の葬送地の一つとして知られていた。
◆歴史年表 平安時代前期-中期、鳥辺のは、京都近郊に存在した葬送地の一つとして知られた。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、西の化野(あだしの)とともに、鳥辺野は京都を代表する葬墓地になった。火葬場の「五三昧所」の一つとされていた。
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)以前、鳥辺野の庶民の墓に墓石はなく、卒塔婆を立てていた。
 近世以降、鳥辺野は、北の延年寺山の西麓に移る。大谷本廟(西大谷)から清水寺にかけて墓地が集中していた。
◆鳥辺野・鳥辺山 鳥辺野(とりべ-の)は、「鳥戸野」、「鳥部野」、「鳥辺部」とも書かれた。平安時代初期以来、京都近郊の葬送地の一つとして知られた。時代によりその場所は変遷し、次第に範囲は縮小している。古くは東山・阿弥陀ヶ峰西麓の、現在の五条坂から北は今熊野付近、西は鴨川にまで及ぶ広い一帯を称していた。
 鳥部(辺)山の西麓が鳥辺野と呼ばれた。付近は、鳥部氏の拠点だったともいう。山は、現在の阿弥陀ヶ峰(標高196.4m)を意味していた。峰には、かつて阿弥陀堂があったことから山名の由来になった。阿弥陀ヶ峰は、東山三十六峰の一つであり、鳥辺山の一画を成している。顕昭(けんしょう、1130? -1209?)は、「トリベ山ハ阿弥陀峰ナリ。ソノスソヲバ鳥辺野トイフ。無常所ナリ。」(『拾遺抄註』)としている。 
 鳥辺野は、平安京の大内裏から東南30度の地点に置かれたとの説がある。冬至の太陽が昇る方角になる。この日は太陽が死ぬ日であり、この日を境にして復活する日でもあった。鳥辺野は、死者の葬送とともに霊魂の甦りを意味した。同様に、平城京大極殿の東南には、死者を葬った高円山があった。
 平安時代の鳥辺野は、貴人の火葬場になっていた。「化野(あだし-の)の露、鳥部山の烟(えん/けむり)」といわれていた。古くより、鳥部寺(愛宕寺)(現在は右京区)、六道珍皇寺(東山区)、六波羅蜜寺(東山区)などの寺院が建立された。第64代・円融天皇女御・東三条院詮子(961-1001)は、暮れの雪降る寒い日に、鳥辺野で荼毘に付される。遺骨は木幡の墓所へ運ばれ埋葬された。第66代・一条天皇皇后・藤原定子(976-1001)は、遺言により鳥辺野陵に土葬されている。藤原道長(966-1028)も、その子・頼道(992-1074)も荼毘に付された。第71代・後三条天皇皇子・東宮実仁親王(1071-1085)もこの地で荼毘に付された。
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)以降の鳥辺野は、北の延年寺山の西麓に移る。『都名所図会』巻3には、「北は清水寺、南は小松谷を限る」とある。この地は、古く延年寺(延仁寺)(東山区)の墓地であり、中世(鎌倉時代-室町時代)以降は火葬場の五三昧所(三条河原[中京区西大路三条] 、四塚[南区] 、千本・蓮台野[北区] 、延年寺[東山区] 、中山[左京区吉田] )の一つとされていた。(『奇異雑談集』)。南北朝時代、1343年には日尊が逆修塔を立て、墓守寺の実報寺(東山区)が建てられていた。
 近世以降は、大谷本廟(西大谷)(東山区)の移転、豊国廟(東山区)の造営などのために、鳥辺野の範囲が次第に狭められた。現在の鳥辺野は、主に清水寺(東山区)南西から大谷本廟一帯を指している。
◆文学など ◈歌枕にも鳥辺山(とりべやま)がある。「晴れずこそ悲しかりけれ鳥辺山たちかへりつる今朝の霞は」(『後拾遺集』哀傷、小侍従命婦、五四五)。
 ◈清少納言(966頃?-1025頃?)は『枕草子』の中で、この地を「峰はゆづるはの峰。あみだの峰。いやたかの峰。」と記している。
 ◈紫式部(973)頃-1014頃?)の『源氏物語』第39帖「御法(みのり)」巻で、紫の上が病に罹り出家を望む。光源氏はこれを許さない。紫の上は二条院で亡くなり、鳥辺野に葬られる。
 鳥辺野に桐壺更衣、妻・葵上、夕顔らも葬られた。
 ◈吉田兼好(1283?-1352?)の『徒然草』第七段に、「あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。」とある。
 ◈浄瑠璃で知られたお俊・伝兵衛の墓などもある。
◆遺跡 近年の五条坂付近での発掘調査により、平安時代中期の貴族の墳墓が発見された。方形区画墓からは、石製笠塔婆が出土し、国内最古級といわれている。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都府の歴史散歩 中』、『京都大事典』、『京都の地名検証』、『昭和京都名所図会 1 洛東 上』、『京都隠れた史跡100選』、『おんなの史跡を歩く』、『紫式部と平安の都』、『歴史家の案内する京都』、『意外と知らない京都』、『源氏物語を歩く』、「源氏物語ゆかりの地」の京都市の説明板、ウェブサイト「コトバンク」


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map 鳥辺野・阿弥陀ヶ峰 〒605-0924 京都市東山区今熊野阿弥陀ケ峯町阿弥陀ヶ峰西麓一帯
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