|
|
林丘寺宮墓地 (京都市左京区) graves of Rinkyuji-no-miya |
|
林丘寺宮墓 | 林丘寺宮墓 |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() 林丘寺宮墓地 ![]() 林丘寺墓地 ![]() 林丘寺墓地 ![]() 林丘寺墓地 |
一乗寺葉山町にある一燈寺(葉山観音)の境内南西に、林丘寺宮墓地(りんきゅうじのみや-ぼち)がある。 江戸時代の元瑶(げんよう)内親王、元秀(げんしゅう)女王、元敞(げんしょう)女王の墓がある。 ◆元瑶 江戸時代前期-中期の皇族・元瑶内親王(げんよう-ないしんのう、1634-1727)。幼称は緋(朱)宮光子(あけのみや-てるこ)、号は普明院。第108代・後水尾天皇の第8皇女。1638年、天皇の後の中宮・徳川和子(東福門院)の養女になり、内親王宣下を受けた。1680年、法皇没後、大覚寺に入寺、剃髪した。1682年、朱宮御所(音羽御所、現在の修学院離宮内)を寺に改めた林丘寺の開基になる。和歌、書、特に絵画に優れた。94歳。 ◆元秀女王 江戸時代前期-中期の元秀女王(げんしゅう-じょおう、1696-1752)。幼称は亀宮、号は松嶺、法名は玄秀とも。第112代・霊元天皇の第9皇女。霊元天皇皇子・代明親王の3女とも。1707年、林丘寺の照山元瑶内親王に師事した。後、同寺2世になる。57歳。 墓は林丘寺宮墓地(左京区)にある。 ◆元敞女王 江戸時代中期-後期の元敞女王(げんしょう-じょおう、1750-1798/1797) 。幼称は八千宮、法名は博山。閑院宮直仁(なおひと)親王の第7王女。1760年、第116代・桃園天皇の猶子になる。1762年、出家した。元秀女王の跡を継ぎ、林丘寺3世になった。48歳。 墓は林丘寺宮墓地(左京区)にある。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『昭和京都名所図会 3 洛北』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() |
|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
|