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護法堂弁財天社・仙翁寺 (京都市右京区) Gohodo-benzaiten Shrinesya |
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護法堂弁財天社 | 護法堂弁財天社 |
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![]() 「護法堂辨才天」 ![]() 「辨財天道」の石標 ![]() ![]() ![]() 「天女」の扁額 ![]() ![]() 御堂 ![]() 御堂 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ご神体の巌 ![]() ![]() ![]() 僧像 ![]() ![]() ![]() 山車? ![]() ![]() 滝 ![]() 滝 ![]() 不動尊 ![]() 地蔵尊 ![]() 大日大聖不動明王 ![]() 【参照】嵯峨仙翁花、松本仙翁の絞り花、嵯峨鳥居本。 ![]() 【参照】フシグロセンノウ(節黒仙翁、学名:Lychnis miqueliana Rohrb.)、ナデシコ科センノウ属の多年草。貴船。 ![]() 【参照】境内近くの竹林 ![]() 曼荼羅山 ![]() |
五山送り火の一つ鳥居形が点火される曼荼羅山(まんだら-やま)の南東麓に、護法堂弁財天(ごほうどう-べんざいてん)といわれる小社がある。堂宇は南東に面して建てられ、境内には神仏習合の痕跡がある。「嵯峨の弁天さん」とも呼ばれる。仙翁寺(せんのう-じ)跡という。秋の紅葉の頃が美しい。 祭神は不明。 ◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。 飛鳥時代、伝承として、仙翁仙人(法道仙人)が万灯籠山の頂に仙翁寺を創建したという。 鎌倉時代、1257年、仙音寺(仙翁寺)での大納言・歌人・藤原隆親の逆修結願に、後嵯峨上皇(第88代)が御幸したという。(『経俊卿記』) 1259年、仙音寺で藤原隆親のために法華八請の仏会があり、後嵯峨上皇が御幸した。(『百錬抄』) 鎌倉時代、仙翁寺は廃絶したという。 江戸時代、1712年、愛宕山の一の鳥居の東の道傍に小堂があると記されている。(『和漢三才図会』) ◆法道仙人 飛鳥時代の伝説上の仙人・法道仙人(ほうどう-せんにん)。方道、空鉢仙人、仙翁(せんのう)。天竺(インド)霊鷲山(りようじゆせん)の五百持明仙の一人であり、真言密教を習得したという。第36代・孝徳天皇(在位 :645-654)の頃、日本に渡来したという。十一面観音信仰を伝えた。中世、播磨国の法華山一乗寺(兵庫県加西市)を中心に山岳寺院を開創した。呪術者であり方術を駆使し、「飛鉢の法」を行った。仏教と陰陽道を結びつけ、医薬を用いて病治癒した。649年、孝徳天皇の病を加持祈祷で治したという。 平安時代末、御嶽山清水寺(兵庫県加東郡社町)の文書が文献史料最古になる。鎌倉時代末-南北朝時代、播磨の山岳寺院20ヵ寺を開創したとされた。江戸時代、播磨、但馬、丹波、摂津の寺の開創に関わったとされた。法道仙人の系統から平安時代中期の伝説上の法師陰陽師・蘆屋道満(あしや-どうまん)が出現し、安倍晴明と対決したという。 ◆仙翁寺・護法堂弁財天・八幡宮・畑山の霊社 境内の北西にある曼荼羅山(まんだら-やま)は標高270m/278mあり、「万灯籠山(まんとうろう-やま/まんどうろ-やま/まんどろ-やま)」、「仙翁寺山(せんおうじ-やま/せんのうじ-やま)」の異名がある。 曼荼羅山とは伝承として、奈良時代-平安時代の僧・弘法大師空海(774-835)が、化野(あだしの)に両界曼荼羅を構想した際に、化野を金剛界とし、この山を胎蔵界としたことに因むという。 万灯籠山には、五山の送り火(8月16日夜)の際に、山の南東面に火座があり、鳥居形の送り火、鳥居大文字が行われている。山の名も、この盂蘭盆会、精霊送りの万灯籠に因むという。 仙翁寺山と呼ばれるのは、かつて山頂に「仙翁寺(せんおう-じ)」という寺が建てられていた。仙翁寺は転訛し、「仙園寺(仙音寺)」と称された。仙翁仙人(法道仙人)が創建したともいう。鎌倉時代、1257年、仙音寺での大納言・藤原隆親の逆修結願に、後嵯峨上皇が御幸したという。(『経俊卿記』)。同様に『百錬抄』『仁部記』『続史愚抄』などにも記されている。寺は、鎌倉時代に廃絶したという。 この仙翁とは、「仙翁花(せんのうげ/せんのうけ)」という花の名に由来するという。寺と花の栽培にも関係があるとされる。(『下学集』、室町時代中期、1444年)。中国から渡来した仙翁(法道仙人)という仙人が、薬草を寺で栽培していたという。山麓西にはいまも、鳥居本仙翁町(せんのう-ちょう)の地名が残されている。江戸時代には清凉寺の寺領の一つであり、仙翁寺村と呼ばれた。町内ではいまなお、「嵯峨仙翁花」といわれる花が継承して栽培されている。 護法堂弁財天は 仙翁寺山の麓にあることから、仙翁寺と何らかの関わりがあったという。その鎮守社だったともいう。護法とは、密教の奥義を極めた高僧、行者に使役する神霊、鬼神の意味を持つ。弁財天とは、仏教の尊格であるものの、神道の神、民間信仰とも混交した。仙翁寺は、鎌倉時代にすでに廃絶している。その、鎮守社だけが取り残されたともいう。なお、各地の弁財天は近代、1868年の神仏分離令以後、神社として寺より分離独立している。 室町時代前期、1413年、足利義満の母・紀良子の没後、仙翁寺跡に洪恩院(清凉寺南)の鎮守社として八幡宮を祀ったという。(『鳥居本八幡宮神社略記』)。江戸時代前期、1682年、仙翁寺は絶え、畑山の霊社が祀られており、仙翁寺の鎮守八幡と記されている。(『雍州府志』)。江戸時代中期、1712年、愛宕山の一の鳥居の東の道傍に小堂があると記されている。(『和漢三才図会』)。 護法堂弁財天と、八幡宮、畑山の霊社、小堂が関連しているかは不明。なお、護法堂弁財天の近くに鳥居本八幡宮が祀られている。 ◆仙翁花 仙翁華、仙翁花はナデシコ科の多年草で、学名は"Lychnis bungeana Senno."とされる。シーボルト・ツッカリーニの『日本植物誌』(1835-1870)にも学名"Lychnis senno Sieb. et Zucc."と記されている。現在、正確な学名は"Lychnis bungeana(D.Don) Fisch. ex Hemsl."とされている。中国原産とされ、古くより観賞用、特に茶花として栽培されてきた。高さは60cmほどあり、葉にも茎にも細毛が密生している。葉は長さ5cmほどの卵形で対生で付く。夏に花弁先が裂けた深紅色の5弁花を付ける。漢名は剪紅紗花、剪秋羅ともいう。 かつて中国から渡来した「仙翁」という仙人が、薬草を仙翁寺で栽培していたという。平安時代の東大寺の僧・奝然(ちょうねん、938-1016)が中国より種を持ち帰ったともいう。(『和漢三才図会』)。仙翁花の文献初例は、南北朝時代、1378年の貴族・近衛道嗣の日記『愚管記』になる。葉を火に炙り、打撲、筋肉痛などの湿布薬として使ったという。民間薬として生薬名「たくご」がある。この場合にはキク科のツワブキのことをいう。臨済宗の僧・愚中周及(1323-1409)は『丱余集(こうよしゅう)』中で、「火を噴く」花として太陽と対比して表現した。当時、七夕の頃、花の贈答が行われていた。七夕連歌御会には数千本を立てて愛でたという。京都五山僧は、漢詩に花を添えて贈る慣わしがあった。かつて白い花弁もあったという。室町時代には、7月の花として華道にも使われた。(『仙伝抄』) 嵯峨は仙翁花の発祥地と記されている。室町時代に、「仙翁花。嵯峨仙翁寺、始めて此の花を出だす、故に仙翁花と云う」(『下学集』、1444年)とある。これを受けて、江戸時代に「センヲウハ嵯峨ノ仙翁寺ヨリ出タルユヘ名ツクト云。仙翁寺今ハナシ」(『大和本草綱目』、1708年)とある。『和漢三才図会』(1712年)にも記されている。『日葡辞書』(1603年)には、「Xenn?qe(センノゥケ)」とある。 現在も仙翁町では「嵯峨仙翁花」と呼ばれる花の栽培が続けられている。ただ、これらは別種のマツモトセンノウ(松本仙翁、学名"Lychnis sieboidii."、ナデシコ科センノウ属の多年草)、フシグロ・センノウ(節黒仙翁、学名"Lychnis miqueliana Rohrb."、ナデシコ科センノウ属の多年草)という。かつて数十の品種があったという。近代以降に大部分は失われた。 仙翁花は、江戸時代以降、絶滅したとされ「幻の花」といわれた。現代、1996年、市民の調査が契機になり、島根県八束郡で栽培されていた株が再発見された。島根との関わりについて、江戸時代の7代目・松江藩主で茶人の松平不昧公(1751-1767)が介在したと考えられている。不昧公は江戸に生まれ、後に不昧流茶道を興している。島根で採取された苗は現在、研究用として東大付属植物園、京都府立植物園、富山県中央植物園の3カ所に分けられた。 京都府立植物園には、村田源(元京都大学理学部講師)の紹介により、現代、1997年に移植された。ただ、3倍体品種といわれるもので、染色体が基本数の3倍ある。これらは、自然にもあるが、主に人工的に2倍体と4倍体との交配で作られた。このため、初年の生育は盛んなものの、実はつけにくい。さらに、土壌線虫の害を受けやすく、連年障害が出て次年から衰弱、やがて枯死する。 このため、株は毎年、挿し木で繁殖させる。花期は7月中旬から2週間ほどになる。 その後、西日本の9カ所で11系統の品種の存在が確認された。すべて3倍体であることから、同一のクローンから株分けされた可能性が高いとみられている。また、中国浙江省天目山の調査により、現地では種子ができる2倍体のセンノウ属が発見された。これらと日本の種との関係については、まだ確定されていない。現在、仙翁花は環境省カテゴリで、絶滅危惧(レッドデータブック)ⅠB類(EN)に指定されている。 ◆鳥居 ◈鳥居は内宮源鳥居の型式の原型に近いとされる。角貫八角柱で五角の笠木になる。 東向き、素石造、八角柱、島木なし、額束なし、注連なし、角亀腹、貫は貫通していない。高さ3m。 ◈大鳥居には、神額「天女」が掛かる。素石、明神鳥居。 ◆翁花水 翁花水という湧水池がある。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都市の地名』、『京都大知典』、『京都大事典』、『鳥居』、『京都の地名検証』、『昭和京都名所図会 4 洛西』、『若冲の花』、『嵯峨の御陵と古墳群』、ウェブサイト「花園大学国際禅学研究所」、ウェブサイト「富山県中央植物園」、ウェブサイト「京都府立植物園」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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