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火除け地蔵・地蔵信仰 (京都市東山区) Hiyoke-jizo |
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火除け地蔵 | 火除け地蔵 |
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祇園白川の祇園新橋東詰北側に、火除け地蔵(ひよけじぞう)が安置されている。 ◆歴史年表 詳細、変遷は不明。 平安時代末、京都の七口に地蔵菩薩が安置された。旅人は、京都を離れる際に旅の無事を地蔵尊に祈った。 1052年、末法を迎えるとする末法思想により地蔵信仰も広まる。 天永・保安年間(1110-1124) 、地蔵菩薩にまつわる説話32編が記されている。その一つに、地蔵菩薩の化身である小僧が火事を知らせたという逸話がある。(『今昔物語集』) 鎌倉時代以降、地蔵菩薩信仰は民にも広がる。 江戸時代、1781年、町々の木戸際ごとに、石地蔵が安置されていたと記されている。地蔵尊は、愛宕神社の本地であり火伏信仰があったという。(『見た京物語』) 近代、1926年、地蔵菩薩の28種のご利益のうち、第7に水火の災を離れとある。(『地蔵菩薩本願経』) ◆地蔵菩薩信仰 平安時代末、京都の出入り口である街道の七口に地蔵菩薩が安置された。旅人は、京都を離れる際に旅の無事を祈った。 地蔵信仰は、平安時代、1052年とされる末法思想の広まりとともに広まる。保元年間(1156-1159)には、西光法師は七道の辻に6体の地蔵菩薩を安置し、「廻地蔵」と名付けた。その後の六地蔵巡りになる。 地蔵菩薩は、比丘の姿をして立ち、左手に宝珠、右手に錫杖を持つ。地蔵菩薩はあらゆる場所に身を変えて現れ、六道の衆生を救うとされた。地蔵菩薩は、冥界と現世の境で邪悪な霊魂を祓うとされた。地蔵菩薩は、町の境界などに安置された。境界は、子どもの埋葬地であったため、地蔵菩薩は子どもを守護するという信仰も生まれる。 *原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 京都市の駒札、『京都大事典』、ウェブサイト「地蔵菩薩本願経 国立国会図書館デジタルコレクション」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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