浮島十三重石塔 (宇治市)  
Ukishima Thirteen Storied Stone Pagoda
浮島十三重石塔 浮島十三重石塔
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宇治川の中州塔ノ島の浮島十三重の石塔



相輪


金剛界四仏の大梵字、宝生如来(タラーク)


阿弥陀如来(キリーク、無量寿如来)


不空成就如来(アク)


阿閦如来(ウーン)

塔ノ島・宇治川・朝日山
 宇治川の中州にある塔ノ島中央に、「浮島十三重石塔(うきしま-じゅうさんじゅう-の-とう)」(重文)が立つ。
 鎌倉時代作であり、現存する日本最大最古の石塔という。
◆歴史年表 鎌倉時代、1286年、奈良西大寺の叡尊は、宇治橋の架け替えに際し、魚介類を救うための祈願により十三重石塔を建立した。法要が営まれる。
 その後、塔は、再興を繰り返した。
 江戸時代、興聖寺開基・永井尚政(1587-1668)が修復している。
 1756年、宇治川の大洪水により堤防が決壊し、塔は倒壊・流失する。(「橋姫流出之控」・「宇治上神社文書」) 
 その後、150年近く塔は川中に埋没していた。
 近代、1908年、塔は川中より発掘され再興された。
 現代、1953年3月31日、国の重要文化財に指定された。
◆叡尊
 鎌倉時代前期-後期の律宗の僧・叡尊(えいそん/えいぞん、1201-1290)。男性。睿尊、字は思円、諡号は興正菩薩。大和国(奈良県)の生まれ。父・興福寺の学侶・慶玄、母・藤原氏。1207年、母を亡くし、醍醐寺門前の家の養子になり、醍醐寺に入り真言を学ぶ、1217年、叡賢を師として出家した。1234年、戒律の復興を志す。1235年、円晴(えんせい)が東大寺で『四分律行事鈔』講じたのを聞く。大和国西大寺に移る。1236年、東大寺で円晴、覚盛(かくじょう)、有厳らと自誓受戒し比丘になる。その後、大和・海竜王寺に移る。1238年、西大寺に住み、再興した。1262年、鎌倉幕府の北条時頼・実時に招かれて鎌倉に下り、北条一族・御家人などに授戒した。1269年、般若寺で「非人供養」する。1281年、蒙古来襲時に、伊勢神宮・石清水八幡宮で異国降伏の祈祷も行う。1285年、叡尊の申請による網代破却が行われた。著『梵網古迹文集』 (10巻) 、自叙伝『感身学正(かんじょうがくしょう)記』 (3巻) など。90歳。
 後深草上皇(第89代)の帰依を受けた。戒律の復興に努め、律宗中興の祖になる。「非人」を文殊菩薩の化身とし6万人に授戒した。「非人宿」を造り救済を行う。弟子・忍性(にんしょう)と救済事業に尽くした。
 1286年、宇治川の網代破却による殺生禁断を実行し、勧進により宇治橋、浮島の十三石塔を再興した。宇治茶の栽培を奨め、漁民の転業のために、川で布を晒す曝布業を奨励したという。
◆永井 尚政
 安土・桃山時代-江戸時代前期の武将・永井 尚政(ながい-なおまさ、1587-1668)。男性。通称は伝八郎、号は信斎。父・直勝、母・阿部正勝の娘。2代将軍・徳川秀忠の近習になり、大坂の陣での戦功により小姓組番頭になる。1619年、加増1万石を得て大名になる。1622年、老職(老中)に就任した。1623年、秀忠から徳川家光への将軍譲位に伴い、秀忠付き西の丸老職になる。1626年、父の遺領を継ぎ、下総古河藩藩主、1631年、山城淀藩主になる。1648年、興聖寺を再興した。82歳。
 秀忠近侍の三臣(ほかに井上正就、板倉重宗)のひとり。墓は興聖寺(宇治市)にある。
◆十三重石塔 「石造十三重塔」は、鎌倉時代後期、1286年に、奈良西大寺の叡尊が、宇治橋の架け替えに際し、魚介類を救うための祈願により建立した。叡尊は、先代の橋の流失は、乱獲された魚霊の祟りであるとし、宇治川での殺生禁断令の発布を朝廷に訴えており、網代(あじろ、網を使って漁猟)などの漁法は禁じられた。この時、法要が営まれ、塔の下に漁具なども埋めたという。
 その後、塔は、再興を繰り返している。江戸時代初期に、永井尚政(1587-1668)が修復したという。江戸時代中期、1756年の宇治川の大洪水により塔は流失している。その後、塔は川中に150年近く埋没していたという。
 近代、1908年に川中より塔は発掘され再興された。その際に、使用されなかった旧相輪・九重目の笠石が尚政ゆかりの興聖寺(宇治市)に移された。現在は、庭にあり、笠石の上に相輪が立てられている。現代、1953年3月31日に国の重要文化財に指定されている。
 現存する日本最大級の石塔の一つという。意匠・技術も優れているとされる。 各重の笠石は雄大で、軒反りも大きい。初重塔身に金剛界四仏の大梵字がある。九重目笠石・相輪は近代の後補になる。高さ約15m、花崗岩製。放生院(宇治市)の所有による。
 塔には金剛舎利塔などの納入品があり、放生院に所蔵されている。
◆年間行事 精霊送り(8月16日)。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
年間行事(拝観)は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。
参考文献・資料 『昭和京都名所図会 7 南山城』、『京都の災害をめぐる』、ウェブサイト「国指定文化財等データベース」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 浮島十三重石塔 〒611-0021 京都府宇治市宇治塔川13
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