|
|
旧毎日新聞ビル (1928ビル) (京都市中京区) Former Kyoto branch office of The Mainichi Newspaper |
|
旧毎日新聞ビル (1928ビル) | 旧毎日新聞ビル (1928ビル) |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() 北西角、旧毎日新聞ビル ![]() 北側 ![]() 北側 ![]() ![]() ![]() 北側、ランプカバー ![]() ![]() ![]() ![]() 北側、窓 ![]() 北側、バルコニー ![]() ![]() ![]() 西側 ![]() 西側 ![]() 西側 |
三条通御幸町東入ルに、旧毎日新聞ビル(きゅう-まいにちしんぶん-びる)がある。建築家・武田五一の設計であり、その代表作の一つとされている。 現在は、1928ビル(いちきゅうにーはち-びる)という複合施設として修復され再利用されている。 ◆歴史年表 近代、1928年、大阪毎日新聞社京都支局ビルの「京都大毎会館」として建築された。 現代、1983年、6月、京都市登録有形文化財第2号に登録されている。 1998年まで、毎日新聞社の京都支局として使われた。同年、支局(上京区河原町通丸太町上る)は移転している。 1999年、複合施設「アートコンプレックス1928」として修復され利用される。 ◆武田五一 近代の建築家・建築学者・武田五一(たけだ-ごいち、1872-1938)。備後(広島県)福山の生まれ。父・備後福山藩士・司法官・平之助(直行)、母・八重の第5子。父の赴任に従い、神戸、姫路、岐阜、高知に住む。1888年、京都第三高等中学校補充科に入学した。1894年、京都第三高等中学校本科を卒業し、京都帝国大学工科大学造家学科に入学する。1897年、帝国大学(東京帝国大学)造家学科(建築学科)を首席卒業し、同大学院に進学した。1899年、大学院中退後、東京帝大助教授に任じられる。東京高等師範学校講師嘱託、東京美術学校教官になった。1901年-1903年、文部省より命ぜられ欧州留学する。ロンドン・カムデン美術学校で学び、各地を巡る。アール・ヌーボー、セセッションなどを体験する。1903年、帰国後、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科教授になる。1904年、京都府技師を兼任し、平等院鳳凰堂・鹿苑寺金閣の保存に関わる。1907年、東京・福島行信邸で、日本初のウィーン・セセッションの様式を試みた。アール・ヌーボーの造形を紹介する。1908年、大蔵省臨時建築部技師を兼任し、国会議事堂建築のために欧米視察した。1912年、パナマ太平洋万国博覧会事務取扱嘱託になる。1915年、工学博士学位を取得する。勲四等瑞宝章を受賞した。1916年、法隆寺壁画保存会委員になる。1917年、片岡安らと「関西建築協会」を設立する。1918年、名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)校長に転任した。1920年-1932年、京都帝国大学建築学科創立に伴い教授になる。1925年、大蔵省営繕管財局技師を兼任した。1929年-1931年、京都帝国大学営繕課長事務取扱として学内建築物の造営に関わる。1931年、欧米出張し、19カ国を訪れた。1934年以来、法隆寺大修理工事事務所長を務める。65歳。 「関西建築界の父」といわれた。奈良・京都の古社寺保存修復、橋梁、博覧会場、公園、記念碑、都市計画、街路施設、家具意匠、染色なども手掛けた。主な作品として、旧日本勧業銀行本店(1899) 、日本初のセセッション建築とされる東京・福島邸(1907)、京都府立図書館(1909)、京都・円山公園(1912)、京都・同志社女子大学ジェームス館 (1913) 、京都・旧松風嘉定邸 (現・五龍閣、1914)、山口県庁舎・県会議事堂(1916) 、大阪・瀧安寺鳳凰閣(1917) 、兵庫・清水寺根本中堂・大講堂・本坊・客殿(1917) 、東京・旧村井吉兵衛邸(現・延暦寺大書院、1919) 、 兵庫・清水寺鐘楼 (1919)、兵庫・光明寺根本本堂(1925) 、 和歌山・高野山大学図書館 (1928)、代表作の東方文化学院京都研究所(1930)、京都・同志社女子大学栄光館(1932) 、鳥取・三朝大橋(1934年) など多数。葵橋、賀茂大橋なども設計した。 ◆若林広幸 現代のプロダクトデザイナー・建築家・若林広幸(わかばやし-ひろゆき、1949-)。京都市生まれ。1967年、インハウスデザイナーとして「たち吉」に入社した。1972年、独立し、インテリアの設計事務所を自営した。その間に、一級建築士を修得する。1982年 、「若林広幸建築研究所」を設立した。 主な受賞・作品は、SDレビュー入選(1984)、 商環境デザイン大賞(1988)、 第9回京都府文化奨励賞(1991)、南海電気鉄道50000系電車(ラピート)(1994)・ブルーリボン賞受賞(1995)。京阪宇治駅でグッドデザイン賞受賞・近畿の駅百選選出(1996)、 PIER 624で大阪市ハウジングデザイン賞(2002)・グッドデザイン賞(2005)、総合福祉施設エーガイヤちくさで若林広幸建築研究所が第13回甍賞金賞(経済産業大臣賞)受賞(2005)。その他、の作品として、ライフ・イン京都、京つけもの西利本社ビル、ヒューマックス・パビリオン・渋谷、旧毎日新聞ビルなどがある。 ◆建築 京都大毎会館は、近代、1928年に8月に建てられた。設計は武田五一による。1983年に京都市登録有形文化財に登録されている。1998年に、毎日新聞社京都支局の移転後は、一時、老朽化による建物の解体案も出た。その後、建築家・若林広幸が建物を買取り、耐震壁の補強などして建物は保存された。 1999年以降は、複合施設「アートコンプレックス1928ビル」として再生される。ギャラリー・レストラン・フリースペースなどとして利用されている。 外観は単純・直線的なアール・デコ様式でまとめられている。窓に水平ルーバー(羽板を横に組んで取り付けた)を多用し、水平方向の印象を強調している。これは、アメリカ合衆国の建築家・フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright,1867-1959)の影響による。北側のファサード(建物正面)に、アール・デコ様式(1910年代-1930年代のフランス、ヨーロッパ、米国で広まった装飾様式)として、最上階の3階北側に社章の星型をモチーフにしたバルコニーの形状、正面上部の同様の星形の窓が見られる。玄関左右の照明のランプカバーの意匠にも見られる。頂部軒廻りにロンバルディア帯(外壁の小アーチで連結した装飾帯)も見られ、ロマネスク様式(10世紀末-12世紀の西欧に広まったキリスト教美術様式)になる。外壁の色は、現在は淡いピンク色、窓枠は深緑色で統一されている。最上階には緑色の屋根が載り、北側は陸屋根になっている。 屋上に京都府測候所の観測室があり、所員が常駐していた。掲揚台があり、天気予報を旗により知らせていた。また、鉄柱(10m)に電灯が付けられ、天候を知らせていたともいう。 内部には、地階に食堂、理髪店、1階に販売執務室、2階に編集室があった。3階に梁によるアーチ型天井を持つホールがあった。これは、1919年の市街地建築物法施行に伴い、斜線制限回避のために、西側面3階部分をセットバック(後退)させたことに起因している。地階には、1980年代に夜勤の記者のためのシャワー室が設けられた。1990年代に地下水が染み出して廃墟のようになったという。 施工は大林組、鉄筋コンクリート造3階建地下1階。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 『京都のモダニズム建築』、『京都の洋館』、『武田五一の建築標本』、『もうひとつの京都-モダニズム建築から見えてくるもの』、ウェブサイト「1928ビル」、「朝日新聞 2021年10月2日付」、ウェブサイト「ARC STYLE」、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |
|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
|