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正因庵 〔南禅寺〕 (京都市左京区) Shoin-an Temple |
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正因庵 | 正因庵 |
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南禅寺の山門南東に塔頭・正因庵(しょういんあん)がある。 臨済宗南禅寺派。 ◆歴史年表 南北朝時代、至徳年間(1384-1386)、徳叟周佐(とくそう-しゅうさ)は正因庵に退隠する。その没後、徳叟の塔所になる。 江戸時代、1796年、正因庵の客殿を南禅寺に移し、臨時の衆寮とした。 ◆徳叟周佐 鎌倉時代後期-室町時代前期の臨済宗の僧・徳叟周佐(とくそう-しゅうさ、1324-1400)。俗称は佐竹、諡号は宗猷達悟禅師。常陸(茨城県)の生まれ。夢窓疎石(むそう-そせき)に師事して法嗣になる。等持寺、永徳年間(1381-1383)、鎌倉・瑞泉寺、1384年、天竜寺に住し、相国寺建立を助ける。1391-1392年、南禅寺49世になった。1393年、南禅寺火災後に再住し、復興する。至徳年間(1384-1386)、正因庵に退隠し、西山・正持庵を兼ねる。77歳。 夢窓派。 ◆琴叔景趣 室町時代後期の臨済宗の僧・琴叔景趣(きんしゅく-けいしゅ、?-1507)。別号は松蔭。近江(滋賀県)の生まれ。天竜寺の用剛乾治の法嗣になる。霊岩院に入り、応仁・文明の乱(1467-1477)を逃れ、江州に移る。1477年、南禅寺251世になった。南禅寺・正因庵に松蔭軒を開き退隠した。蘭坡景し(らんぱ-けいし)に詩文を学ぶ。横川景三(おうせん-けいさん)らと交遊した。著『松蔭吟藁』『梅陽琴叔百絶』など。 夢窓派。 ◆蘭坡景茞 室町時代前期-後期の臨済宗の僧・蘭坡景茞(らんぱ-けいし、1419/1417-1501)。諡号は仏慧円応禅師。近江(滋賀県)の生まれ。南禅寺・正因庵の大模梵軌(だいも-ぼんき)に師事し、その法嗣になった。希世霊彦(きせい-れいげん)、瑞巌龍惺(ずいがん-りゅうせい)らに漢詩文を学ぶ。1475年、臨川寺、文明年間(1469-1486)、相国寺、等持院、常在光寺などの住持になる。1485年、南禅寺226世、1487年、南禅寺に退隠した。1489年、南禅寺に再住する。南禅寺住持は8度歴任した。82歳。 第103代・後土御門天皇、三条西実隆らと親交した。南禅寺に仙館軒(後の仙館院)を創建した。 ◆梅圃景村 室町時代後期の臨済宗の僧・梅圃景村(?-1533)。詳細不明。近江(滋賀県)の生まれ。幼き頃より蘭坡景茞に師事し、その法嗣になった。正因庵を継ぐ。臨川寺、1533年、建仁寺住持、南禅寺258世を歴任した。南禅寺・正因庵(左京区)で亡くなる。 詩文をよくした。 ◆五山文学 正因庵は五山文学者を輩出した。庵には、蘭坡景茞(1419-1501)、梅圃景村(?-1534)、英岳景洪らが住し、琴叔景趣(?-1507)も寄寓した。 *非公開 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『旧版 古寺巡礼京都 12 南禅寺』、『南禅寺史 上』、『南禅寺史 下』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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