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桂昌院 〔東福寺〕 (京都市東山区) Keisho-in Temple |
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桂昌院 | 桂昌院 |
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![]() ![]() 「後宇多天皇菩提所」の石標 ![]() ![]() 「開運 三面大黒尊天」の石碑 ![]() ![]() ![]() ![]() 庫裡 ![]() ![]() 三面大黒天が祀られている御堂 ![]() 三面大黒天 ![]() ![]() |
東福寺境内の南西に塔頭・桂昌院(けいしょう-いん)がある。後宇多天皇の菩提所になる。 臨済宗東福寺派。本尊は観音菩薩。 ◆歴史年表 鎌倉時代、1324年/元亨年間(1321-1324)、雙峰宗源(そうほう-そうげん)が九条家の別荘に創建した。後宇多天皇上皇(第91代、1267-1324)の染筆宸翰を贈られ、臨行が相次ぐ。 近代、明治期(1868-1912)、現在地に移る。 ◆雙峰 宗源 鎌倉時代中期-南北朝時代の臨済宗の僧・雙峰 宗源(そうほう-そうげん、1263-1335)。男性。双峰、逢源、諡号は雙(双)峰国師。筑前(福岡県)の生まれ。東福寺の円爾(えんに)に師事、その法嗣。鎌倉で無学祖元、大休正念らに学ぶ。筑前・崇福寺、東福寺、1321年、南禅寺住持になる。1324年、東福寺・桂昌院を創建した。72歳。 ◆太極 室町時代後期の臨済宗の僧・太極(? -1472)。詳細不明。東福寺・桂昌院の霊隠軒主。五山文学僧。日記『碧山日録』を著す。5巻からなり、1459年-1463年(1449年-1452年とも)、1465年、1468年の記事が残る。政争、飢饉、土一揆、応仁・文明の乱(1467-1477)などの記録がある。 ◆三面大黒天 御堂内正面に三面大黒天が祀られている。像の顔正面に大黒天、右面に毘沙門天、左面に弁財天の三つの顔をもつ。それぞれ、福寿・商売繁盛、知恵・学芸、勇気・健康の信仰がある。 三面大黒天の右に玉龍聚寶、左に後宇多天皇像が安置されている。 ◆庭園 枯山水式庭園「双峰庭」がある。 ◆文化財 ◈絹本著色「双峰国師像 自賛」1幅(重文)、鎌倉時代作、京都国立博物館寄託。 ◈「袈裟」(重文)。 *非公開、境内の三面大黒天には参拝できます。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都の禅寺散歩』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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