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西向寺 (爪彫地蔵) (京都市北区) Saiko-ji Temple |
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西向寺 | 西向寺 |
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![]() ![]() サクラ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本堂 ![]() 本堂 ![]() 本堂 ![]() 本堂 ![]() 玄関 ![]() 地蔵堂 ![]() 地蔵堂 |
紫野東蓮台野町に西向寺(さいこうじ)はある。地蔵板碑(爪彫地蔵、つめぼりじぞう)で知られている。山号は幸阿弥谷という。 浄土宗知恩院派、本尊は阿弥陀如来、二十五菩薩。 ◆歴史年表 江戸時代、寛永年間(1624-1644)、清誉浄顕(せいよ-じょうけん)上人が小草庵、西向庵を結ぶ。念仏弘通(ぐつう/ぐずう、布教)の道場にしたことに始まるという。 1752年/宝暦年間(1751-1764)、6世・俊龍和尚の時、現在の伽藍が再建された。 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、廃寺になった西念寺(北区)より2体の阿弥陀如来像、地蔵板碑が当寺に遷されたという。 1882年、本山・知恩院より寺号を得て、「西向寺」と改める。 ◆清誉浄顕 江戸時代の浄土宗の僧・清誉浄顕(せいよ-じょうけん、?-?)。詳細不明。江戸時代、寛永年間(1624-1644)、西向庵を結び、念仏弘通の道場とした。 ◆仏像 ◈本堂には本尊の「阿弥陀如来」、「二十五菩薩」を安置している。 ◈南脇壇に、2体の「阿弥陀如来坐像」(京都市指定文化財)を安置する。「二葉の弥陀」と呼ばれる。藤原時代(平安時代中期-後期)中期作という。江戸時代、「慶安二年(1649年)」銘の胎内文書、「本尊再興奉加帖」が納められていた。かつて、上賀茂神社別所の上賀茂御堂西念寺の仏像だった。近代、1868年の廃仏毀釈で廃寺になり、板碑とともに当寺に遷されたという。 五却思惟像、像高86.3㎝、87.4㎝、寄木造、漆箔、彫眼。台座に装飾がある。 ◆西念寺 西念寺は、上賀茂(北区)の南、鴨川堤の低地にあり、「凹寺(くぼでら)」、「窪寺」、「くぼみ堂」と呼ばれたという。 奈良時代の僧・行基(668-749)の開創によるという。行基自刻の阿弥陀仏を本尊にしたともいう。また、天台宗の僧・恵心僧都(源信、942-1017)の造立だったともいう。 この地は、平安時代-鎌倉時代の僧・歌人の西行(1118-1190)の発心地であり、その姉が住したともいう。庭に「とこめかしの梅」があったという。 かつて天台宗であり、その後、浄土宗に改宗した。上賀茂神社の別所として賀茂社司の葬送に関係したという。近代、1868年に廃寺なった。廃絶の時期は不明ともいう。 ◆板碑 地蔵堂東の覆屋内に、「地蔵板碑」が立てられている。南北朝時代作になる。塔婆(板石塔婆)の中央より下に、地蔵菩薩立像が浅く陰線刻され、「爪彫地蔵(つめぼりじぞう)」とも呼ばれている。「京の三板碑」(ほかに正法寺、百万遍・了蓮寺)の一つに数えられる。 板碑に南北朝時代、「明徳二年(1391年)」の銘があり、信徒、一結集(いっけっしゅう)35人の逆修(ぎゃくしゅう)のためのものという。これは、生前に逆(あらかじ)め自らの死後の冥福を祈念する。来世と現世の功徳のために仏事を営み建立した。近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈に伴い、廃寺になった西念寺より、2体の阿弥陀如来像とともに板碑も遷されたという。 板碑は上部が山形に切られ、その下に二段の切り込みが入る。周囲に長方形の輪郭が彫られている。地蔵尊の上部に火焔宝珠付きの天蓋があり、右手に錫状、左手に宝珠、胸に瓔珞を飾る。下に花瓶に挿された2対の蓮華の宝花(供花)が置かれている。高さ1.55m。幅58cm、厚さ6cm。緑泥片岩製。 ◆花暦 門前に桜がある。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都市の地名』、『京の石造美術めぐり』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『新版 京のお地蔵さん』、『日本の名僧』、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() 地蔵堂 |
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![]() 鐘楼 |
![]() 鐘楼、梵鐘 |
![]() 石仏群 |
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![]() 地蔵板碑(爪彫地蔵) |
![]() 地蔵板碑(爪彫地蔵) |
![]() 地蔵板碑(爪彫地蔵) |
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![]() 鎮守社 |
![]() 水子地蔵尊 |
![]() 石塔、地蔵尊 |
![]() 紫雲亭 |
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![]() 十三重塔 |
![]() 二宮金次郎(尊徳)像 |
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