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天性寺 (京都市中京区) Tensho-ji Temple |
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天性寺 | 天性寺 |
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![]() 山門 ![]() ![]() ![]() ![]() 本堂 ![]() 本堂 ![]() ![]() 鐘楼 ![]() 玄関 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 弁財天社 ![]() ![]() 弁財天社 ![]() 弁財天社 ![]() 弁財天社 ![]() 句碑「碁盤目に 世界の京として 灯里」紅寿 ![]() |
天性寺前町の寺町通に面して天性寺(てんしょう-じ)はある。境内が寺町通、姉小路通より低地にあり、かつての鴨川河原の名残という。 大和当麻寺、当麻曼荼羅を織ったという中将姫(ちゅうじょうひめ)との関りが深い。山号は曼荼羅山(まんだらざん)という。院号は當麻院という。 浄土宗総本山知恩院の末寺。本尊は阿弥陀如来。 弁財天は火除け、端正な顔立ち・健康な子を授かるという信仰がある。 ◆歴史年表 室町時代、大永年間(1521-1527)、建立されたという。 また、安土・桃山時代、1577年、大和・当麻寺の眼誉道三により、中将姫の遺徳を偲び創建されたという。(『山州名跡志』)。また、当麻曼荼羅を模し、絵解きしてそれを広めるためともいう。当初は当麻町(上京区曼茶羅町)にあったという。(『坊目誌』) 安土・桃山時代、第105代・後奈良天皇の妃・吉徳門院(?-1522)が帰依し、山号を付与したという。 1587年、豊臣秀吉により現在地に移転する。 江戸時代、1788年、天明の大火により焼失する。 文化年間(1804-1818)、再建された。(『坊目誌』) 近代、1880年、現在の本堂が再建される。 現代、1956年、現在の門が再建された。 ◆眼誉 道三 室町時代-安土・桃山時代の僧・眼誉 道三(?-?)。詳細不明。大永年中(1521-1527)、大和・当麻寺念仏堂の院主。京都に天性寺を創建した。 ◆中将 姫 奈良時代の伝説上の中将姫(ちゅうじょう-ひめ、747-775)。女性。父・右大臣・藤原豊成、母・紫の前(品沢親王の娘)。藤原鎌足の曾孫。幼くして母を喪い、父は橘諸房の娘・照夜の前を後妻にする。姫は美貌と才に恵まれ、9歳で第46代・孝謙天皇に召し出され、琴を奏し賞賛を受ける。だが、継母に疎まれる。13歳で三位中将の位を持つ内侍になる。継母は家臣に姫の殺害を命じた。姫は命乞いをせず読経を続け、家臣は雲雀山の青蓮寺 (宇陀市)へ隠した。父・豊成により連れ戻され、1000巻の写経を成す。763年、16歳の時、第47代・淳仁天皇は後宮へ入るように望むが辞した。当麻寺で尼になり、法如と称した。26歳で長谷観音のお告げにより、一夜で蓮糸による当麻曼荼羅(観無量寿経の曼荼羅)を織ったという。亡くなった時、来迎により生きたまま西方極楽浄土へ向かったという。 中将姫の伝承は、平安時代の長和・寛仁年間(1012-1021)より伝えられ、戯曲の題材になった。 供養塔が天性寺にある。 ◆吉徳 門院 室町時代後期の吉徳門院(きっとく-もんいん、?-1522)。詳細不明。女性。栄子(えいし)。父・万里小路賢房。第105代・後奈良天皇の妃。皇太子時代に宮に入る。第106代・正親町天皇など3皇子女を産む。没後、皇太后の尊称と院号を追贈された。 ◆藤左衛門 安土・桃山時代-江戸時代の真鍮の祖・藤左衛門(?-?)。詳細不明。近江(滋賀県)の生まれ。近江・金成山(きんせいざん)麓に住し百姓をする。1593年、信心していた庚申山広徳寺(滋賀県甲賀郡水口町)の本尊・庚申尊に祈願し、断食参籠したという。満願の夜、枕元に童子現われ、銅に針丹(亜鉛)を混ぜる合金の法を伝授したという。また、感得したという。1599年、京都に出て真鍮吹きを始め、巨万の富を築く。1616年、報恩のために広徳寺本堂を再建した。 墓は天性寺(中京区)に「日本真鍮祖神 藤左衛門翁之墓」としてある。 ◆原 在中 江戸時代中期-後期の画家・原 在中(はら-ざいちゅう、1750-1837)。男性。名は致遠、別号に臥遊。京都の酒造家に生まれた。絵は石田幽汀、円山応挙に付く。山本探淵に仏画を学ぶ。寺々の元・明の古画を独学し、土佐派に学ぶ。有職人物画を得意にした。寛政度(1789-1801)造営の御所障壁画制作に応挙らと参加した。常御殿の杉戸絵、相国寺方丈障壁画「補陀落図」「琴棋書画図」などを描いた。土佐派、円山四条派、岸派、古狩野などを融合し、精密な装飾画風の原派を興した。 天性寺(中京区)に葬られた。 ◆横山 清暉 江戸時代後期の画家・横山 清暉(1792-1864)。詳細不明。男性。初名は暉三、字は成文、奇文、通称は主馬、詳介、号は霞城。京都生まれ。四条派の画家。松村景文に学び、花鳥、山水、人物を描く。幕末画壇の「平安四名家」と評された。73歳。 墓は天性寺(中京区)にある。 ◆仏像・木像 ◈「十一面観音像」は、「織姫観音」とも呼ばれている。中将姫の化身という。 ◈中将姫の自作という「中将姫法如尼像」がある。 ◆文化財 室町時代の画僧・明兆(1352-1431)筆の絹本墨画「白衣観音図」1幅(重文)がある。 ◆花暦 白い花弁のモクレン(3月下旬-4月初旬)が花開く。姉小路側より土塀越しに見られる。 ◆鴨川名残 境内、墓地は寺町通、姉小路通より低地になっている。これは、この地がかつて鴨川河原だったためという。 ◆墓 ◈開山など歴代、中将姫塔の五輪塔婆がある。 ◈江戸時代の藤左衛門の墓がある。真鍮祖神といわれている。 ◈江戸時代の画家・原在中(1750-1837)、その子・在照(1813-1871)、その子・在泉(1849-1916)ら一族の墓がある。 ◈江戸時代の四条派画家・横山清暉(1792-1864)の墓がある。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都 歴史案内』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『京都大事典』、『京都の寺社505を歩く 上』、『京都のご利益手帖』、『京都府の歴史散歩 上』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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