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与謝蕪村宅跡 (京都市下京区) Site of Yosa,Buson Residence |
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与謝蕪村宅跡 | 与謝蕪村宅跡 |
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仏光寺通烏丸西入南側に、「与謝蕪村宅跡(よさ-ぶそん-たく-あと) 終焉の地(しゅうえん-の-ち)」の石標が立てられている。 江戸時代中期の俳人・画家・与謝蕪村は、最後は釘隠町に移り、この地で亡くなったという。 ◆歴史年表 江戸時代、1768年、与謝蕪村の居所は「四条烏丸東へ入町」と記されている。(『平安人物志』同年版) 1774年、蕪村は釘隠町に移転する。 1775年、蕪村の居所は現在地「仏光寺烏丸西へ入町」と記されている。(『平安人物志』同年版) 1784年、この地、釘隠町で、蕪村が亡くなったという。葬儀は金福寺(左京区)で行われ、当寺に葬られた。 現代、1998年、石標が立てられた。 ◆与謝蕪村 江戸時代中期の俳人・画家・与謝蕪村(よさ-ぶそん、1716-1784)。本姓は谷口、初号も谷口、のち与謝氏。別号は夜半亭、夜半亭二世、夜半翁、宰鳥、宰町、落日庵、紫狐庵など。画号は長庚、春星、謝寅(しゃいん) 、東成、朝滄(ちょうさそう)、謝長庚、謝春星、四明など多数。摂津国(大阪府)の生まれ。家は豊かな農家で、父が急逝し家産を失う。俳画家を目指し、1737年、江戸に出て、内田沾山(せんざん)に俳諧を学ぶ。京都から江戸に戻った夜半亭(早野)巴人(はじん)に師事した。1742年、巴人の没後、下総結城の友人・砂岡雁宕(いさおか-がんとう) 方に身を寄せる。常陸・下総地方を遊歴し、憧れの松尾芭蕉の足跡を辿り東北地方を遊歴した。1744年、蕪村と改号した。1745年、和詩『北寿老仙をいたむ』を書く。1751年/1752年、京都に上る。知恩院山内でも起伏した。1754年、生母の出身地、丹後与謝加悦(かや)に立ち寄り、讃岐などを旅した。1757年、京都に戻る。1758年、漁師の娘・ともと結婚する。この頃、京都の四条烏丸付近に移り、与謝を名乗った。1761年、娘・くのが生まれる。1766年、蕪村を中心に結社「三葉社」が生まれた。1769年、『平安人物志』の画家の部に登録される。1770年、巴人の夜半亭2世を継ぎ、京都俳壇の中心になる。1771年、尾張国の下郷学海の依頼により、池野大雅との合作「十便十宜帳」を描く。1773年、『あけ烏』を刊行し、俳諧新風を提唱した。1774年、釘隠町に移転する。1776年、金福寺(左京区)に芭蕉庵を再興した。1778年、几董との兵庫への小旅行を果たした。1779年、『奥の細道屏風図』を描く。晩年、蕉風(しょうふう)復興を提唱した。1784年、京都で亡くなった。68歳。 江戸俳諧の中興の祖、俳画の創始者とされる。俳風は写実性、浪漫性、叙情性を有し、絵画的とされ、中興期俳壇の中心存在になる。芭蕉とは異なる俳諧を打ち出した。俳諧よりも早く、文人画の大家として大雅と並び称せられた。画風は南画の大成者とされ、日本の自然観を加味する。山水画、花鳥画、俳画も残している。芝居好きで、役者・作者とも付き合う。芸妓・小糸と関わった。著は新体詩『春風馬堤曲』、句日記『新花摘』、『夜半楽』、『玉藻集』、句集『蕪村七部集』、俳画『奥の細道図屛風』など。 墓は金福寺(左京区)にある。芭蕉と親交があり、芭蕉庵と芭蕉句碑の傍らに葬られることを望んだという。蕪村忌(12月25日)。 ◆蕪村の家 与謝蕪村は、京都の長刀鉾町、白楽山町にも住んだという。(『俳諧家譜拾遺集』) 江戸時代、1774年に、蕪村の妻・ともが釘隠町に空き家を見つけてきたという。現存する日吉神社(室町仏光寺角)より、仏光寺通を東に入った南側にあった。狭い庭もあり、縁も付いていたという。行き止まりの路地には地蔵尊も祀られていた。 1784年に、蕪村はこの家で亡くなったという。辞世の句「うぐひすや何ごそつかす薮の霜」「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」。葬儀は金福寺(左京区)で行われ、当寺に葬られた。 なお、石標の傍らに立つ駒札には、蕪村の『幻の日記』に、この地の経緯が説明されているとある。『幻の日記』(出典: 小説『書かれざる蕪村の日記』[著・高橋末衣、1997年])については、「架空の書」とされている。(「京都のいしぶみデータベース-京都市」) ◆釘隠町 町名の釘隠町(くぎかくし-ちょう)には、逸話がある。 近世、洛中に「三富人」があった。一つは「角倉家」、二つは「十四屋家」、三つは「醍醐倉家」といわれた。 この地には、豪商・十四屋家があり、「十四屋町」とも呼ばれていたという。屋敷には書院が建てられ、民家には珍しい長押に釘隠が飾られていた。美しい鳥獣草木の飾金具だったことから町名「釘隠町」の由来になったという。(『雍州府志』『京雀』) *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、『京都府の歴史散歩 中』、『京都の地名検証 3』、『京都大事典』 、ウェブサイト「ネットミュージアム兵庫文学館」、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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